何事もカッチリとやろうとし過ぎていないか〜タイ人ガイドに感じた「ほどよいユルさ」〜

夏休みでタイに旅行に行ったとき、現地のガイドさんのノンビリした雰囲気に触れました。

リフレッシュするための旅行だったこともあり、心地良いユルさを感じました。

これでもいいのかも!?と感じたユルさ

バンコク市内の寺院を観光するのに、現地のオプショナルツアーを申し込みました。

そして最初の訪問先であるワット・アルンの入り口近くに着いたときのことでした。

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*工事中だったワット・アルン

ガイドさんを先頭に、総勢10人ちょっとのグループで歩いていましたが、ある露店の前でガイドさんが立ち止まりました。

なぜ立ち止まったのか、みんな分かりません。

・何か特別なお店なのか?
・何か買わなければいけないのか?
・ガイドさんが何か買ってくれるのか??(そんなはずはありませんが)
なんてことを思いながら?、ガイドさんの様子を見つつ、少しの時間待たされることに。

そして、ガイドさんが購入したのが、その店で売っていた魚3尾

「なぜ魚?」と思いましたが、どうやらお寺のなかにいる猫のエサだったようです。

ガイドさん曰く「来るたびに必ず猫ちゃんのエサを買ってあげるんだよね」とのことでした。

最初は、観光客をガイドするという仕事中に
・仕事(ガイド)には関係のない猫のエサを買う。
・そのために周りの人間を待たせてしまう。
というのはアリなのか?などと少しだけ感じていました。

しかしその後、エサをやるときにたまたま近くにいたのですが、ガイドさんのうれしそうな顔を見たら、「ああ、これくらいユルくても良いのかもしれない」と感じるようになりました。

自分のことを振り返ってみると

自分自身のことを考えると、「人に迷惑をかけていないか」が非常に気になります。

たとえば、待ち合わせの時間に遅れるとか、自分の都合で相手の時間を奪ってしまうこととかは、想像しただけでも落ち着かない気分になってきます。

基本的にすべてのことをカッチリ・キッチリやっておきたいという感覚です。
(もちろん、知らないうちに迷惑をかけていることはあるのでしょうが・・・)

ところが、そのガイドさんの行動が心地良かったということは、もしかすると心のどこかでは、そのようなユルい感覚を欲しているのではないかと思ったりもしています

変にギスギスしているよりは人間味があって良いのかもしれません。

バランスが大切ですが基準をユルめてみるのもオススメ

カッチリ・キッチリやろうとし過ぎると、自分も苦しく、相手にも窮屈な印象を与えてしまうかもしれません。

逆に、ユル過ぎても、迷惑をかけたりルーズな印象を与えてしまうことになりかねません。

結局のところ、バランスが大切ということに尽きるのでしょう。

とりあえず
・自分ではカッチリ・キッチリやりたい。
・そして無意識のうちにそれを相手にも求めてしまう。
という自覚がある方は、相手に迷惑をかけないことを前提として、多少ユルめの基準を持ってみると、今までと違った感覚で過ごすことが出来るようになるのではないでしょうか

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【編集後記】

昨日の飲み会は2時間飲み放題コースでした。
1時間の延長が1,000円ということで、結局延長することに・・・
こういうときには誰かが強硬に帰ろうと言わない限り、つい延長してしまうのが不思議です。

【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら

銀座 竹の庵5丁目本店

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