仕事のなかには「単純な作業や業務」がありますが、単純だからといって侮ることはできません。
「目の前にある仕事をきっちりこなせること」というのは、すべてのことに通じるものだからです。
単純な作業を侮るなかれ!?
仕事をするうえで「単純な作業」「単純な業務」を避けることはできません。
そして、いくら「単純」だとしても、これらのものを侮ってはいけません。
・資料作成
・書類の整理やファイリング
・資料のコピー
・メールでの連絡
・書類への押印
などは、主体的に取り組むものもあれば、「頼んだだけ/頼まれただけ」のように、単純作業に区分されるものもあるのではないかと思います。
で、このような単純作業であっても、出来栄えや結果に差が表れるものがあります。
有名なところでは、新入社員などにコピーを依頼したり、資料のホチキス留めを依頼した場合などに、
・仕事の丁寧さ
・気配り、気遣い
・仕事に対する意識
などが表れるとも言われていますね。
単なる頼まれ仕事、単純作業、つまらない仕事と考えて適当に済ませるか、それでも相手のことを考えながらきっちりと仕上げるか。
頼んだ側や相手側からは、その違いははっきりと見えるものだからこそ、侮ることはできないと感じています。
目の前にある仕事をきっちりこなせるかどうか
目の前にある仕事をきっちりこなせるかどうか。
簡単なようでいて、この「きっちり」というのが難しかったりもします。
上のケースでは、単にコピーを取れば良いとか、単にホチキス留めをすれば良いというだけではありません。
ましてや、その単純な業務ですら、間違えてしまったらそもそもお話にならないということは言うまでもありません。
・資料の誤り
・押印の誤り、抜け
・単純な誤字脱字など
いかに
・相手の立場に立って物事を見られるか。
・相手に対する気遣いができているか。
ということが大切になります。
(もちろん、そんなの知ったことか!という真逆の感覚も個人的に嫌いではありませんが!?)
単にコピーをとるだけ、ホチキス留めするだけであれば「仕事をこなしている」だけのレベルにとどまるのかなと思います。
そこからさらに一段上げて、相手の立場に立つ、相手への気遣いができるということが、仕事を「きっちり」こなすということになるのでしょう。
この意識はすべてのことに通じるもの
このように
・単純なことでもきっちりと取り組むことができるか?
・目の前の仕事に集中して取り組むことができるか?
という意識、感覚はすべてのこと(仕事でも仕事以外でも)に通じるものだと思います。
詳細は忘れてしまいましたが、昔のアメリカで、「掃き掃除」を完璧にこなしたことがきっかけで大きなチャンスを掴んだ人がいた、という文章を読んだことがあります。
単に「こなした」のではなく、「完璧にこなした」からこその結果だったのでしょう。
確かに周囲を見渡しても、
・ある物事に真剣に取り組む人は、他のことにも同じように取り組んでいる
・ある物事への取り組みの精度がイマイチの人は、他のことでもイマイチ
というケースは結構多いのではないでしょうか。
ですので、経営者であれ社員であれ
「ある物事へ取り組む姿勢や意識はすべてのことに通じるもの」
という意識を持っておくことが大切なのだと改めて感じています。
また、経営者など自分が「頼む側」であれば、このような考え方を最初に相手に伝えてあげたほうが良いのでしょうね。
【編集後記】
引越しをするにあたって、自宅のインターネット通信と電話の移転手続きをしようとしたところ、なんだか分かりにくいことを発見しました。
現在適用されている割引が継続されるのか、キャンペーンなどの適用があるのか、解約手数料や工事費などがかかるのか、など、自分にはどれが当てはまるのか?が分かりにくいんですよね。。
【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら
ハムとチェダーチーズのサンドイッチ