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行田市は埼玉県名発祥の地〜古墳や田んぼアートも〜

埼玉県行田市を紹介するシリーズはとりあえず今回で一区切りにしたいと思います。
いろいろと紹介を!と思ったものの、それほどネタがないという。。。
(もちろん、自分が知らないだけでいろいろあるとは思うのですが)

行田市は県名発祥の地

「埼玉」・・・普通に読めば「さいたま」です。

一方、行田市には「埼玉」という地区があって、この場合の「埼玉」は「さきたま」と読みます。

住所が「埼玉県行田市埼玉」で、「さいたまけん ぎょうだし さきたま」と読むということになります。

あとで触れますが、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)があるあたりの地名が「埼玉(さきたま)」です。

詳しくは知りませんでしたが、ウィキペディアによると、「万葉集」には「さきたまの津」、「風土記」には「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」などの記述があるのだとか。

ちなみに小学生や中学生のころには、学校で「行田市歌」を歌わされることがありました。
(いまでも歌わされるのかどうかは分かりませんが。。)

その「行田市歌」の2番には

埼玉(さいたま)の名の ゆかりはここに

という歌詞があります。

というわけで、行田市に住んでいて行田市歌を知っている人なら、行田が県名発祥の地であることは知っているということになりますね。

埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)

行田市でもっとも有名なものの1つが埼玉古墳群です。

のぼうの城、陸王などで話題になる前には、「行田って何があるの?」といえば、「古墳ぐらいかな。。。」と答えていた気がします。

あらためて調べてみると、全部で9基の古墳があるようです。

・丸墓山古墳(まるはかやまこふん)
・二子山古墳
・稲荷山古墳
・鉄砲山古墳
・将軍山古墳
・中の山古墳
・瓦塚古墳
・奥の山古墳
・愛宕山古墳

丸墓山古墳が円墳でそれ以外が前方後円墳です。

丸墓山古墳

丸墓山は日本で最大の円墳(直径105m、高さ18.9m)らしいです。

豊臣秀吉による小田原征伐に伴って、石田三成が忍城を水攻めした際、忍城がよく見える場所ということで、この丸墓山古墳に陣を構えたことで有名です。

なお丸墓山には実際に登ることができます。

*以前、丸墓山から忍城の方向を写した写真。肉眼では忍城がはっきり見えましたが、写真だと小さすぎて。。。

稲荷山古墳

鉄剣が出土したことで有名です。

私が子どものころには前方部分はありませんでしたが、いまでは復元されているので、作られた当時を形を見ることができます。

稲荷山古墳にも登ることができます。

将軍山古墳

横穴式石室が発見された古墳で、現在では石室内部を見学することができます。

火祭りとか田んぼアートとか

それ以外にも、町おこしなのかどうか分かりませんが、いろいろなイベントが行われています。

さきたま火祭り

毎年5月に行われるお祭りです。

古代衣装を着た人が松明を掲げて歩き、最後に産屋に火をつけるというのがクライマックスシーンです。
ストーリーの詳細は忘れてしまいました!?が、古事記 の話だったかと。。。


*火がつけられる前の産屋


*松明を掲げた行列


*クライマックスシーンの産屋炎上

なお、最後には花火も打ち上がります。

田んぼアート

市内にある「古代蓮の里」という公園に隣接する田んぼで、秋には田んぼアートを見ることができます。


*「古代蓮の里」の展望台


*2年前に訪問したときの田んぼアート

今年は訪問できませんでしたが、通常の田んぼアートと「陸王」の田んぼアートが描かれたようです。

小さくて見にくいですが、このパッケージの右上にある陸王と役所広司さんの絵は、田んぼアートで描かれたものらしいです。

改めて振り返ってみると、行田に住んでいた期間が16年、行田以外に住んでいる(いた)期間が27年。
行田以外に住んでいた期間のほうが長いわけですが、やっぱり自分が育った故郷にはなんとも言えない思いがあるのだと感じました。

昔は何もないし、都内まで遠いしで、嫌な思いしかなかっただけに不思議な気もします。

埼玉県民や関東在住の方で行田になんて行ったことがない、という人も多いとは思いますが、一度は訪れてみても面白いのではないかと思っています。


【編集後記】

今朝起きてみると、足の親指の付け根付近が少し赤い気が。。。
とりあえず気のせいだと思い込んで、忘年会シーズンを乗り切ろうかと。

【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら

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