最近、さまざまな方が書いている文章を読みながら、難しい言葉を使うべきか、易しい言葉を使うべきか、いろいろと考えさせられています。
いろいろな文章を読みながら感じること
最近、以前よりも多く、さまざまな方が書いている文章を読んでいます。
書籍以外のもので、たとえば、メルマガやブログ、専門分野に関する記事などです。
で、そのような文章や記事のなかには、
難しい単語、表現が多用されている文章
もあれば
易しい表現で、読みやすく書かれている文章
もあります。
このようなものを読んでいて改めて感じるのが、文章には個性がよく現れているということです。
わざわざ改めて書くまでもないくらい、当たり前のことなのですが・・・
また、なかには
本当に読んでもらおうと思っているんだろうか??
なんて感じる文章と遭遇することもあったりして、まあそれはそれで面白かったりもするのですが。。
難しい言葉と易しい言葉
読んでいるもののなかには、
日常的に書く文章でよくこんなに難しい言葉、表現を使えるな!
と心から感心する文章もありますし、
難しいことや伝えづらいことを、よくこんなに分かりやすく伝えられるな!
と感じることもあります。
一方で、
難しい言葉、表現を使っているんだけど、中身があまりなかったり、いまいち伝わってこない・・・
と感じるような文章もあったりします。
いろいろな文章に触れながら感じるのは、
「難しい言葉や表現」と「易しい言葉や表現」をどのように使い分けるとよいのか?
をしっかりと考えておく必要があるということです。
なかには
「難しい言葉・表現」を使っておいたほうが高尚な文章に見えるだろう。
というくらいの感覚で書かれているのだろうか?と思うような文章も見かけます。
ただ、あくまでも「中身」が第一であり、
「誰が書くか」
「誰に何を伝えたいか」
を意識せずに「難しい言葉や表現を並べた文章」を書いてしまうと、やっぱりちょっと分かりにくいのではないかと。
文章を書く目的次第!?
文章を書くからには、それは「誰かに読んでもらうもの」だと思いますので、
・誰に読んでいただくものなのか?
・文章を書く目的が何なのか?
は考えておく必要があります。
経営者の方が社員に向けて連絡事項をメールするとき、
「難しい表現」
「読む人によって解釈が分かれるような表現」
は使わないはずです。
ふと思い出しましたが、会社員のころ、メールの文章が分かりにくい人がいました。
結局何が言いたいのだろう?
と相手に思わせてしまったらダメですね、やはり。
また、文章のなかには
・固い文章
・柔らかい文章
・硬派な文章
・チャラチャラした文章
があります。
さらには、
「一見チャラいが中身がしっかりしている文章」
もありますし、
「一見固いが、実は中身があまりない文章」
なんていうのもあります。
伝えること、読んでもらうことが目的であれば、少なくとも中身がしっかりと伝わりやすい文章になっていることが必要になります。
そのためにも
誰に読んでもらいたい文章なのか?
をまずはしっかりと自分なりに意識しておくべきだと考えています。
ちなみに、私自身、専門分野(たとえば税金など)に関する部分はある程度、固めの文章、表現になるのはやむを得ないと考えています。
特に、法律を易しめの表現に言い換えようとすることで、
「きちんと伝わらない、誤解を与えてしまう可能性がある」
場合には注意しています。
ただ、それ以外では、難しい言葉や表現はあまり使わないようにしているつもりです。
逆の立場だと、読むのに疲れてしまうので。。
なかには、意識して、意図的に
「読める人だけ読んでもらえば良い」
というハードルを設けているケースもあると思いますし、そこで差別化している人もいます。
で、それはそれでアリだと思いますが、万人がやって受け入れられるものではなく、一部の人のみなのかなと、感じることも多いです。
話すべき人が話している、書くべき人が書いているから説得力があるわけで、
表面的にそこだけを誰かが真似しても、イマイチ入ってこないのかな??
なんて考えています。
もちろん目的次第では、読み手のことなんて関係なく、
自己満足で「(自分が)カッコいい(と考える)」文章
を書くことも悪いことではないとは思いますが!?
【編集後記】
この週末、娘が通う高校の野球部の試合を見に行ってきました。もちろん娘が試合に出るわけでもなく、ブラスバンド部の一員として応援に参加しているだけなのですが。。
このような部活のイベント、残り1年半の高校生活であと10回もないと思うので、せめて参加しておこうかと予定を最優先にしています(単に野球を見ているだけ、だったりもしますが!?)
*「1日1新」とは→詳細はこちら
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あるお客様との打合せ
熊谷運動公園野球場へ新しいルート