とあるグループでの飲み会に参加しながら、ふと違和感を覚えたことがありました。
その場で交わされる会話のほとんどが、「◯◯さんが〜」のような、第三者が主語になっていたからでした。
「自分」や「相手」などその場にいる人が主体になる会話
とある飲み会で「この会話ってなんだろうな?」となんとなく違和感を覚えました。
よくよく考えてみると、会話内容の大半がその場にいない人たちに関するものだったというのがその理由でした。
通常の会話では、「自分」や「相手」などその場にいる人が主語になると思います。
・自分が◯◯をした。
・自分は◯◯と思う。
・あなたは◯◯。
・あなたは◯◯?
・私たちは◯◯だ。
などなど。
特に、飲み会や会合など、わざわざ人が集まって会話をするような場面では、その場にいる人たちが主体となるような会話が良いと感じています。
久しぶりに会う友人や知人なら、
・最近はこんなことをしている。
・こんなことを感じている。
というお互いの近況報告もあるでしょうし、共通の趣味などの会話も楽しいでしょう。
職場での懇親会などでも、普段職場では話さない趣味のことなど個人的な話をするのもたまには面白いと思います。
ところが、せっかくその場にみんなで集まっているのに、「◯◯さんが〜」みたいな話ばかりになると、なんとなくもったいないという気がしてしまうのです。
その場にいない第三者が主体になる会話
その場にいない第三者に関する会話がすべて良くないと考えているわけではありません。
会話には第三者が登場することが普通にありますし、話の流れのなかで
・面白い話
・いい話
・第三者をほめる話
・参考にできる話
などであればまったく問題ないと思います(むしろ必要ですね!?)。
また、多少の噂話(悪口でない)なら、まあ悪くはないかもしれません。。
ただし、第三者(特に知らない第三者)が主体となる会話ばっかりだとちょっとつまらないかなと。
以前にも、ある研修会に参加してグループで昼食をとっていたとき、ある方が
・私の知り合いの◯◯という人が・・・
・知り合いに◯◯という職に就いている偉い人がいて・・・
など、ご本人でもない第三者の自慢話をずっとしていたことがありました。
初対面の人もいるし、もう少しその場にいる人との会話がないのかな?とだんだん飽きてきたところ、同席者が半ば強引に(!?)会話を終わらせてくれたのですが。。。
第三者を主体にした会話は、ややもすると、単なる噂話に終始してしまったり、悪口に近い会話になってしまったり、愚痴になってしまったり、よく分からない自慢話になってしまったり。。。
せっかく忙しい時間を使ってその場に集まっているのですから、その場でのリアルな会話、その場にいる人たちを主体とした会話を大切にすべきではないかと改めて感じています。
語れる「自分」と「相手」への興味
会話のなかで「自分」や「相手」を主体に話をするには、語れる「自分」と「相手」への興味が必要になります。
そのためには、まずは
・自分が何をしているのか?
・自分が何を考えているのか?
をしっかりと話せるような過ごし方をしておく必要があります。
もしも刺激がない時間を過ごしていたり、新しいことに挑戦していなければ、自分自身のことについて話をすることができないかもしれません。
久しぶりに会っての近況報告で、「前回からあまり変化がない」というのも寂しいですね。。。
そして、自分のことをしっかりと話せるからこそ、結果的に相手への興味も湧いてくるのではないかと思っています。
そのような会話ができない相手、第三者に関する会話しかできない関係というのは、どうしても長続きしないのではないかという気がします。
ふと気づくと「◯◯さんが〜」という会話ばかりになってしまっていないか、注意してみると良いかもしれません。
【編集後記】
週末の打ち納めゴルフは、今年1年のワースト3に入るくらいのボロボロゴルフでした。
チームメンバーのおかげで、そこそこの商品をゲットすることができたのがせめてもの救いということで。。。
【昨日の1日1新】
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