自分のなかでこだわりを持つことは大切です。
ただ、ときにはこだわり過ぎず、「自分のなかにある常識を疑う」という感覚も必要なのではないかと思っています。
フライボール革命!?自分の常識は古い??
昨年(もっと前?)から野球界で話題になっているのが「フライ革命」というものです。
私が野球小僧だったころから、野球のバッティングでは
・ゴロを打て!
・強い打球を打て!
・フライはダメだ!
と教わってきました。
フライは取られたらその場でアウトですが、
・ゴロなら野手が取り損なうかもしれないし
・送球が乱れるかもしれないし
・イレギュラーしてヒットになるかもしれないし
なんていうのがその理由だったように記憶しています。
要は、なんとか塁に出ようと思ったら、
ゴロ=◎/フライ=×
という考え方です。
ところが、このフライボール革命というのは、
「ゴロではなくフライを打ったほうがヒットになりやすい」
という考え方なのだとか。
もともとは、メジャーリーグでアストロズがワールドシリーズ制覇したときに話題になった理論のようです。
もちろんホームランの可能性も残りますし、野手の頭を打球が越えていけばよいという理屈なのかもしれません。
実際には、単にフライを打てばよいわけではなく、それなりに打球のスピードが出る選手でなければ使えない理論のようではあります(メジャーリーグの選手なら問題ないのでしょうが)。
ただし、少なくとも従来よく言われてきたような「常識」とは違う理論が正しい(とされている現実がある)ということは認識しておいたほうがよさそうです。
インターネットは危ない?LINEは危険?
以前から言われてきたことや、以前であれば自分のなかでは常識だったことなどにこだわり続けたくなるのが人間の性かもしれません。
ただし、そこにこだわり過ぎてしまうと、「新しいものを受け入れられない古いおじさん」化してしまうかもしれません。
たとえば昔は、インターネットみたいに知らない人と繋がるのは危ない、なんて言われていましたし、インターネットで買い物の決済をするなんて想像もできなかった時代もありました。
ところが今では多くの人が簡単にポチッと決済ボタンを押していると思います。
LINEなども「それ大丈夫?」なんて言われていた気がしますが、いまそんなことを言っていたら笑われてしまうでしょう。
少なくとも、仲間内と付き合いにくくなったり、いつまでも便利さを享受できないまま過ごすことになってしまいます。
いつまでも、自分のなかの常識、具体的には
・過去に聞いたこと
・過去から自分が思い込んできたこと
・思い込まされてきたこと
などの呪縛から逃れられないままというのは、やはりもったいないことだと思います。
世の中から取り残されないために
常識を常識としてそのまま受け入れるのがよいのかどうかという議論はあるでしょう。
とはいえ、少なくとも、世の中から取り残されずに生きていくには、それなりに新しいモノ・コトに付いていくことが必要だと感じています。
周りが変化しているのに自分が変化できなければ、気づいたら取り残されていた、なんてことになりかねません。
フライボール革命全盛の時代に、フライボール革命って何?という感度では強いチームを作ることはできませんね。
他にも自分が勝手に「常識」と思っていることでも、徐々に世の中のスタンダードが変わってきているということはあると思います。
税理士でも「税理士とは〇〇であるべき」と思い込んでそこに縛られてしまっているケースもあるのかなと。
・人を雇ってなんぼ。
・事務所を借りてなんぼ。
・顧問先の件数を増やしてなんぼ。
が常識と感じる人もいれば常識とは感じない人もいると思います。
この感覚は5年前と現在、さらに5年後では大きく変わっているかもしれません。
まずは自分が常識と思っていることを疑ってみる、常識とは違うことも試してみるなど、間口を広げていろいろなことをやってみるという感覚が大切なのかなと思っています。
【編集後記】
昨日、関東信越税理士会の方と電話で話し、異動届が無事に受理されました(たぶん)。
事務員さんが最後に「先生、今までお世話になりましてありがとうございました。」という一言で電話が終わり、なんだか少し寂しいような(?)気持ちになりました(特に思い入れがあったわけではないのですが)。
【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら
カフェサンド(ハム&タマゴ)
お茶づけ海苔風さけむすび