お昼ごはんでも食べようかと思って入ったお店。
空いていれば「待たずに入れてラッキー!」と思うこともありますが、空いているにはそれなりの理由があるんだなと感じることもあって、少し微妙だったりもします。
空いているにはそれなりの理由が?
外出したときなど、お昼ごはんを食べるお店を探すことがあります。
外出した場所にもよりますが、駅近くのショッピングモールやデパートのレストラン街などでお店を探すこともそれなりにあります。
で、私の場合、そのときのお店選びの最優先事項は、「お店が混んでいないこと」です。
昼ごはんを食べるために、わざわざ行列することは避けたいなと。。
で、結果的にというか、必然的にというか、あえて空いているお店を選ぶことになるわけです。
そんなとき、お店に入れたときの気持ちは
待たずに入れてラッキー!
です。
が、しかし、です。
ご飯を食べ終わってお店を出るとき、「ラッキー!」という思いが継続しているかといえば、そうでないケースが多かったりもします。
空いているには空いているなりの理由があるんだな・・・
という、なんとも言えない感想のときもそれなりに多いです。
一言で言い表せば、
満足度が期待値以下
といった感じでしょうか。
・味(質)
・ボリューム(量)
が値段と比べてイマイチだったりして、満足度が期待値に達しないという状況で。
勝手にイメージしている期待値
ご飯の質や量に満足できないというのは、こちらが「勝手にイメージしている期待値」に達していないということです。
・そのご飯が美味しいか美味しくないか
・そのご飯が高いか安いか
・そのご飯が値段に見合っているかどうか
というのがポイントになりますね。
サービスの内容(ご飯の味、量、値段)が自分のイメージよりも上回っているかどうか、というのが1つの基準になります。
明確な基準、数値化できる基準ではなく、感覚的なものであるというのが難しいところです。
美味しくてもものすごく高ければ満足度は低いかもしれませんし、不味くても値段がものすごく安ければこんなもんかなと思って、そこまで満足度は下がらないかもしれません。
結局のところ、想像以上であれば満足度は高いでしょうし、想像以下であれば満足度は低いということになるでしょう。
つい最近もそんなことを感じるお店に入ってしまい、食事をしながらいろいろとと考えさせられました。
混んできたらOKというわけでもない?
ちなみに「空いている」お店に入ってみて、それとなく観察していると、時間帯によってそれなりに混雑してくることもあります。
他人事ながら「あぁ良かったな」と思う反面、それはそれで「お店としてはOKではないのかもしれない!?」と思うこともあります。
おそらく「空いているとき」をベースに運営しているのでしょう。
混んでくるとお店の運営(配膳、接客)が追いついていない様子が見えてくることがあります。
混まないことを前提とした配置
混むことを前提とした配置
この兼ね合いというのはやはり難しいのでしょうね。
必ずしも「混んできたからOK」というわけではないというのが、また難しいところだなと。
期待値と満足度が大切なのは税理士でも同じ!?
このような期待値と満足度の関係性というのは、税理士のようなサービス業でも同じことだと感じています。
良いサービスを提供しているから満足度が高い
とは言い切れません。
例えば値段が高かくて、期待値が高すぎる場合など。
一方、悪くて安いサービスの満足度が低い
とも言い切れないかなと(期待値が低く、それで十分という人も一定割合いるわけで)。
やはりなんだかんだ言っても、
・値段と内容のバランス
・その結果としての満足度
が大切というのは、すべての仕事に共通するものなのだと感じています。
レストランのように、他人事として客観的に見られるところではなんとなく分かる、感じることがあるでしょう。
一方、自分のこととなるとなかなか分からない、イメージしにくいということもありますね。
・自分が提供できることが何なのか?
・それは相手が求めていることなのか?
・それは値段に見合った内容なのか?
最近いろいろなところで学び、いろいろなことを感じていますが、仕事をしていくうえでは、まずはこういった基本的な「期待値」「満足度」を改めて見直してみる必要があるんだろうなと思っています。
【編集後記】
昨日は初めて訪問したお店で美味しい日本酒を楽しみました。
良いお酒で、量も少なめだったので、今朝はバッチリ、スッキリ目が覚めました。
なんというか、大人のお酒の飲み方、というのでしょうかね。
個人的には、ガッツリ飲んで、遅く帰って、翌朝「やってしまった!」と感じるような飲み会も好きなのですが。。。
【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら
おさけと
新政NO.6ほか、日本酒いろいろ