「言葉は取り消せない」「言葉は大切」と考えていることについて、何度か書いたことがあります。
これは誰にでも当てはまることですが、なかでも「影響力がある」立場であれば、かなり強く意識しながら言葉を選ぶことが必要ではないかと考えています。
言葉は取り消せない
社会人2年目のころに言われた「言葉は取り消せない」という言葉を忘れないようにしています。
若気の至りで?、お客さんと口論に近い電話のやり取りをしたときに、言い聞かせるように言われたことです。
「死ねと言われたら死ぬのか?」という品のない表現
・死ねと言われたら死ぬのか?
・飛び降りろと言われたら飛び降りるのか?
学校の先生が生徒に対してこのような発言をしたと耳にしました。
はたして、この言葉にどのような効果があるでしょうか。
「◯◯先生から言われたから、××している」ではなく「しっかりと自分で考えるように」と言いたかったのかもしれません。
でもおそらく生徒側は反感を覚えるだけで、真意はなかなか伝わりませんよね。。。
そもそも使っている言葉に品がないというか、少なくとも教育の場で使う言葉ではないかなと。
教育や道徳を偉そうに語るつもりは全くないのですが、一社会人として「なんだかな〜」と感じるような言葉が、プラスの方向に働くことはあまりないのではないかと感じています。
「学校の先生」ということで、周囲から見る目のハードルが上がっているのは確かかもしれませんが、「先生」と呼ばれるような影響力のある立場であれば、なおさら「使う言葉」には気をつける必要があるでしょう。
「影響力がある」「人から見られる」立場
「言葉」が大切であるというのは、誰にでも当てはまることです。
ただ、そのなかでも、「影響力がある」「人から見られる」立場であれば、そのことを強く意識すべきだと考えています。
前述の学校の先生に限らず、経営者や専門職系(先生業と呼ばれる方々)であれば、内部/外部から見られています。
会社を代表して外部と接触する営業職や接客業の仕事でも同じでしょう。
後先考えず、言葉を選ばずに発言した場合、その瞬間はスッキリした気分になるかもしれませんが、ほんの一瞬でしょう。
もしも取り返しがつかないことになったり、後から嫌な思いをすることになるのであれば、なんともバカげていますね。
自戒を込めて、ということになりますが、しょーもない先生のおかげで、改めて言葉の大切さを意識する良いきっかけになりました。
【編集後記】
週末は、娘(中3)の体育祭の応援に行ってきました。
幼稚園から続いてきた運動会の応援も、今回が最後かもしれないと考えると、なかなか感慨深いものがありました(高校生になってからも見に行くものなのか、分かりませんが!?)。
【昨日の1日1新】
*「1日1新」とは→詳細はこちら
税理士会の野球部で先発